SNSってみんなが羨ましく見えて精神的にあまりよろしくない

執筆の背景

先日、友人Aが東京に来るというので軽く飲んだんですね。僕の中で友人Aは「推し活」に大忙し、いつも全国各地を飛び回っているイメージだったのですが、「そんなことはない」と。そんなに予定も入ってないし基本的に仕事と家の行き帰りだと。

SNSタイムラインから感じるイメージ

やはりSNS投稿から感じるイメージってその人の現実とは異なるんですよね。再認識させられました。羨ましいと感じてたんです。好きなことや趣味を目一杯やってる感じがして。他のみんなの投稿もそう。みんな楽しそうでキラキラしてて。

疑問

僕はといえば、毎日毎日悩みの連続、この生き苦しい現世でどうやったら心の平安を得られるのか?試行錯誤と酒の日々ですw 昨今では当ホームページのコンテンツとして、駄文を書きSNSで投稿してますが、コロナ禍の2年間はほぼSNS断ちしてましたからね。僕はライブ活動を休止する方を選んだのですが、逆の選択をした方達がやはり羨ましかったですしね。ただそんなことは一言も発信してきた訳ではないので、自分もやはりキラキラハッピーな(笑)イメージで映ってるのかも?そう感じました。

問題点の整理

①皆が羨ましく見えてしんどい

②自分が皆にどう映っているかが気になる

対策

①SNSはそういうもんだと割り切る

それしかないですよねw そもそも何のためにSNSをやっているのか?自分の場合は発表の場、プロモーション、情報収集の為なのでそこを見失わないように心がけたい。少し前に観た映画「監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影」も印象的でした。少し乱暴な言い方をすると、運営側は「いいね」など、心理的に中毒にさせるような仕掛けを用意して、滞在時間を長くし広告費を稼いでいると。元運営側に居たお偉いさんが「自分の子供にはSNSは使わせたくない」と言ってましたw 「いいね」欲しさに軽率な行動を取る若者もある意味では被害者なのかもしれません。
Netfilx公式『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』

②他人の目を意識しすぎない

もちろん「理解しようとする気持ち」は尊いのですが、他人の本当の気持ちなんて一生わからないですよね。あくまでも憶測に過ぎない「他人の目」に囚われてしまうのは、自分を「外部から見た『らしさ』」の殻に閉じ込めてしまっているように感じます。まぁ他人の目を意識すること自体はステージに生かせてると思いますし、それはそれで良しと肯定的に捉えてみることにします。
そうそう以前、kindleで『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち (心理療法士イルセ・サンのセラピー・シリーズ)』という本を読んだ時、HSP(ハイ・センシティブ・パーソン)について詳しく解説してありまして、これがほぼ当てはまるんですね。。なので多分HSPということで色々細かいことが気になってしまうんでしょう。心あたりのある方は一読してみてはいかがでしょうか。



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