アートとデザイン 表現としての音楽と娯楽としての音楽

ずっと考え続けているテーマですね。現場で僕から話を吹っかけられたことある方も少なくないと思います。

僕の中でアートは自己表現、プロダクトアウトだと思っていて、誰かの意見など全く聞かず、ただ純粋であれ、そんなイメージです。
デザインは、機能的、洗練された、マーケットイン的なものだと感じていて、誰かの役に立つようなものだと思ってます。

ただ、難しいのはデザインの中にアートを見つけてしまう場合っすね。自己表現はなんでもありの自由ですから。純粋にデザインを突き詰めたアートも存在しちゃうし。

ま、好きでやってることは全部アートに、なり得るってことっすかねぇ〜

音楽の話に移ります。
表現としての音楽
娯楽のための音楽
これもアート x デザインの話と同じく、

表現としての音楽は自己表現、プロダクトアウト。誰かの意見など全く聞かず、ただ純粋であれ。
娯楽としての音楽は、機能的、洗練された、マーケットイン的なもの。誰かの役に立つように。

これも難しい所は一緒で、音楽をやろうと志した時、大抵は娯楽または教養としての音楽から入ってるんじゃないかと。自分はロックンロールに衝撃を受けたけど、それはもちろん娯楽としての音楽だったし。

忘れちゃいけないのが、50年代のロックンロールブームも娯楽であり、商業的だったということ。カントリー音楽やブルースが米国南部では文化的に融合しつつある時代背景や、「黒人のように歌える白人」を探していた「SUN RECORDS」のサム・フィリップス氏は世の中のニーズを汲み取っていたのでしょう。そしてElvis Presleyを発掘してロック大爆発が起こった訳です。

僕は文句なしに大好きなんですが、Elvis PresleyのSUN RECORDS時代の音源を聴いていると、ほぼカントリーというかヒルビリーに聴こえます。確かに芸術的で革命的でトンガっているけど、民族的、民謡的であり、とても爆売れする音楽に聴こえないんですね。その後大手レーベルRCAに移籍して「Heartbreak Hotel」を皮切りに大ヒットを連発していきます。これ以降に聴ける音源はもう、洗練された文句なしのポップミュージックとしてのロックンロールです。

僕なんかは、そういう売れた音楽を聴いて音楽をやろうと思っちゃった訳ですから。直接の影響は、ビートルズ(のアニメ)と「Back to the Future」です。アートの動機がデザインと言うこの矛盾。折に触れて僕を悩ませる問題です。

アートはいびつでトンガっていてナンボだと思うのですが、自分が影響を受けたデザインの範疇にいつも自分を縛り付けているのでは?と自責自問している訳です。

そして、岡本太郎氏が言う「芸術は無目的であれ」は非常に共感するのですが、「無目的なのになぜ他人に見せる/見てもらうのか?」が未だにわかりません。札幌の水彩画/造形アーティストの本田征爾氏と飲み語らった時、氏は「人間は社会的な生き物だからかなぁ」と仰ってました。確かに。

答えは無いんですが、こんなふうに取り留めもなく思索しております。



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